徒然ラルク

ラルクアンシエルな毎日。

美しいだけじゃない「瞳の住人」

この曲が出たばかりの頃、実はラルク離れをしていました。
活動したり休止したりが続いていて、少しずつ私からも距離を置きはじめていた頃で、
hydeさんのソロからも遠ざかりはじめてたかな。

2004年のひな祭りの日に発売されて、私はテレビか何かで聴いたな、、くらいの曲でした。
初めて聴いた時は、耳に残るメロディーラインだからテッチャンの曲かな?
歌詞は王道のラブソングだな?くらいに思ってて。高校生の私は別の音楽に夢中だったなぁ、、と。


で、この曲の真髄に辿り着いたのが実は最近の出来事すぎて、ファンとしては呆れるというか、笑えるというか。
ただのラブソングだったらそこまで好きにならなかったかもしれないんですよ。マジな話。

たまたま見てた何かの過去記事で、瞳の住人についてhydeさんが話してらした内容を読んで、急にストンと入ってきたんですよね。
「あぁ、我が子を想う親の気持ちの歌だったんだ」って。

また別の記事には、忙しくて忙しくて一体自分はどこに向かってるんだろう、何がしたいんだろうって考えて書いたと話されていたのも読んで、そうか、これはhydeさんが生まれたばかりの子どもと会えない日々を綴った我が子へのラブレターだったんだ!なんて思ってしまった。

そしたら途端にとてつもない曲だと思えてきまして。ファンの人たちが絶賛している理由がよく分かりました。


「急ぎ足の明日へ抵抗するように 駆け回っていても 不思議なくらい、、この胸は君を描くよ」

まさに忙しい日々に、会えない時間を惜しんでいる言葉。


「白く滲んだ溜め息に知らされる季節を 繰り返しながら ふと思うのさ、、なぜ僕はここに居るんだろう?」

忙しくしている間にどんどん季節は巡って、会えない時間の長さと速さを思い知らされる。
大切なものを置き去りにして、自分は一体何をしてるんだろう、と。


「移り行く瞬間をその瞳に住んでいたい」

同じ時の流れを感じて、同じものを見ていたいのに叶わない。本当はいつも、その瞳に僕を映していて欲しい。って、まさに瞳の住人...!


「いつの日か 鮮やかな季節へと連れ出せたら 雪のように空に咲く 花のもとへ、、」

また季節は変わって春。
いつか、少し大きくなった我が子を連れ出して、雪のように舞い散る桜吹雪の中を一緒に歩けたなら、、。

そんな風に解釈しました。
なんて美しい、なんて鮮やか。まさにラルクの真骨頂、絵画のような曲。
それがこの曲の印象に変わったのです。


ラルクさんは自分たちの曲を、ああだこうだと語り尽くさない。そこがいいとこだと思ってるんだけど、だからこそ本人の口から語られる少ない言葉を聞き逃しちゃいけないんだなと、改めて感じた曲でした。


こりゃ名曲だわ。
だって、ちゃんとラブソングにも聴こえるし、そうだと解釈することもできるのだから、ラルクを知らないリスナーの心にも響くものがあると思うのです。

ていうか、夢の中でこのメロディー思いついたテッチャンもすごすぎやろ!
ラルクはメロディーの天才ばかりで、ホントにいい曲しかないな。しかも構成もちゃんとしてるから、hydeさんの歌と歌詞の良さがきちんと素敵に生かされてる。
要所要所に入る美しいファルセットとか、ボーカルありきで曲作ってるとしか思えない。プロ相手に偉そうに言うことじゃないですけど、まじですごすぎです。

ユッキ-の軽やかだけどドラマチックなドラムの音もお気に入りの一曲です。

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